最近出た、大阪人について書かれた本によれば、「関西人は基本的に善悪で物事を考えるのではなく、損得で物事を考える」との事である。そう考えれば、大阪で違法駐車がやたら多いこと等が説明ができるという。なるほど、そう言われると何となく納得するし、そういう考え方もある意味理にかなっているとも言えよう。ただ、その本では明示的にかどうかは失念したが、いかにも「東京人は善悪で物事を考える」みたいな書き方がされていたような気がする。これはちょっと違うのではないかと最近思うようになった。そんなに東京人が善悪で物事を判断するのなら、東京には善人ばかりということになってしまうがそんな事はない。では大阪人からみて何故東京人が「善悪で物事を判断し、規則をよく守る」ようにみえるのか、というとそれはおそらく東京人の価値観によると思う。もちろんその軸は「倫理的な善悪」でもなければ「損得」でもない。
思うに東京人の価値観は、昔の「粋(いき)か野暮か」という事が今でも一番なのではないかと思う。現代風にいうと広い意味での「カッコ良いか悪いか」という事である。江戸っ子というと、今では東京東部の浅草に代表される下町っ子を主に指すが、いわゆる「江戸っ子」の価値観でもっとも大事なのは「粋であること」だったのだと思う。簡単に言うと「カッコ良い」事が大事なのだ。それは単に服装等の外見だけではなく、生活様式一般に通じる。で、もっとも嫌われるのは「野暮」で「カッコ悪い」事であろう。では野暮な事の例は何かというと「自分だけズルして得をする」という事である。これは「損得」の価値観としばしば衝突する。例えば「電車を待つ時に並ばないで横から割り込もうとすること」や「近くに駐車場があるにもかかわらす駐車料金を惜しんで違法駐車した揚げ句に渋滞の原因になること」等は野暮でみっともなくてカッコ悪い、となる。そういえば野暮って単語、こちらでは殆ど聞かないよなあ。要するに「規則だから守る」のではなく「野暮でカッコ悪いからしけた事はしない」のである。そう、しつこく損得にこだわるのは野暮なことなのである。
こう書くと大阪人は「ただのカッコつけ」と思うかもしれないが、簡単に言えばそうであるし、それが損得以上に重要な価値観なのだからしょうがない。もちろん東京人も同じ物なら安く買いたいし、損得が重要でない訳ではない。ただ、昔の江戸っ子の「金は天下の回り物」という言葉があるように、東京人には「お金は使う為にある」という意識が残っているのかもしれない。これはどちらが良いとか悪いとかという事でもないと思う。ところで「粋」という概念は実は関西にもあり、それが「スイ」と読まれる事は最近知った。そういえば「野暮」の代わりに「無粋(ブスイ)」という単語は大阪で使われているような気がする。しかし「粋(スイ)」の概念は関西全般にはどうやら広まっていないらしい。
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