私たちは今回可能になった、「高エネルギーかつ高分解能光電子分光」を強相関Ce化合物に対して行い、世界で初めてCe
4fバルク電子状態をはっきりと明らかにしました。そして従来の低エネルギー光電子分光で見ていたCe 4f電子状態がバルクのそれとは異なる表面状態に起因している事を明らかにしました。
光電子分光は、物質に高エネルギーの光を入れた時に出てくる外部光電子のエネルギーを測定することによって、物質の電子状態を調べる手法です。そのために高温超伝導体を始めとして多くの物質で研究が進んでいます。また、近年光電子分光の性能は向上し、物質の電子状態が高精度で解明できるようになってきました。しかし、これまで全世界に普及している高分解能光電子分光装置にはある種致命的な欠点がありました。それはこれまでの装置では高精度で光電子を観測するには低いエネルギーの光(真空紫外線、エネルギーが20〜100
eV、波長にすると120〜600オングストローム)を使わねばならず、結果として低いエネルギーの光電子を観測しているという事でした。右図のように、低いエネルギーの光電子は固体内部(バルク)ではすぐに同じ固体内部で散乱をうけてしまい、結果として観測できるのは固体の表面から出てきたものばかりでした。これは表面の研究には都合が良く、事実光電子分光は表面研究にもよく用いられています。しかし物質の電子状態はバルク(物質内部)と表面で異なる事が多く、高温超伝導体を初めとする強相関物質を中心とした新しく開発された物質の電子状態は勿論バルクの電子に左右されます。これまでの高分解能光電子分光による研究では表面の問題をやむを得ず棚上げにして、得られた結果からバルク電子状態について議論してきました。高いエネルギーの光電子はバルクから多く出てきますが、エネルギー分解能が不十分であり、最も知りたい固体内部の情報が精度よく得られないという欠点がありました。
私たちはこのような制約を克服するため、大型放射光施設SPring-8のビームラインBL25SUに高輝度超高分解能分光器を建設し、高分解能の軟X線(光のエネルギーが500〜1500
eV、波長にすると8〜25オングストローム)を十分な明るさで使えるようにしました。そしてそこに高分解能光電子分光装置を設置し、「高いエネルギーの光による光電子分光でも高分解能で」実験できるようにし、成功させました。この新しい方法では1000
eV付近で従来のほぼ10倍のエネルギー分解能での測定が可能になりました。そのため固体の表面ではなく、バルクの真の電子状態を高精度で探れるという特徴を持っています。現在このような装置は日本のSPring-8にしかありません。
私たちは今回可能になった、「高エネルギーかつ高分解能光電子分光」を強相関Ce化合物に対して行い、世界で初めてCe 4fバルク電子状態をはっきりと明らかにしました。
ここで今回測定したCe化合物について説明いたします。Ceという元素は希土類元素の一種で、化合物になるとCeは+3価もしくは+4価のイオンになります。Ce3+イオンは4f軌道電子を1個持ちます。この4f軌道というのが曲者で、元々は非常に局在性の強い軌道で、4f電子同士のクーロン反発(電子相関)が強く、所謂「近藤効果」を引き起こすことがしばしばです。しかしCeイオンのまわりにある他のイオンの電子との混じりあいの強弱によって、この4f電子の振舞いは驚く程物質によって異なり、それがCe化合物の多彩性をもたらしています。Ce
4f電子と他の電子との混じりあい(混成と言います)が弱いとCeイオンはほぼ+3価となり4f電子数は1個です。このような4f電子はクーロン反発の強さ故に物質中を動き回る事ができず元のCeイオンの場所に局在し、多くの場合磁気的秩序(強磁性、反強磁性転移)を起こします。しかし混成が少し強くなってくると4f電子は多少動き回りやすくなり、局在性が崩れてきます。Ce
4f電子は電子相関の強い影響を受けながらも動き回る訳ですから、その動きは当然ゆったりしたものになる。これは「重い電子系」の振舞いとよばれるもので、今回測定したCeRu2Si2はその典型例と言えます。すなわちCeRu2Si2はCe
4f電子が局在しているか動き回っている(遍歴的といいます)かの境界に位置した物質という事です。さて、さらに混成がどんどん強くなっていくと、4f電子と他の電子が良く混じる訳ですから「4f電子と他の電子」という風に区別する意味がなくなり、4f電子もよく動き回ります。CeRu2はCe
4f電子がよく動き回る典型的な物質です。
もちろんこれまで様々なCe化合物について光電子分光が行われたのですが、多くは低いエネルギーの入射光を用いたもので、Ce 4f電子状態が色々と異なるにもかかわらずCe 4f光電子スペクトルはどれも似通ったものになっていたのです。私たちはその原因が、従来の低エネルギー光電子分光は表面電子状態を見ているせいではないかと考え、実験を行いました。
試料は阪大理学部の大貫先生のグループに提供していただきました。私たちはバルク及び表面のCe
4f電子の振舞いを見る為にCe 3d-4f及び4d-4f共鳴光電子分光をエネルギー高分解能で行いました。共鳴光電子分光とは、特定の元素の電子軌道に属する電子の光電子スペクトルを選択的に増大させる手法で、入射する光のエネルギーを調節できる放射光施設で可能な実験です。今回行ったCe
3d-4f共鳴光電子分光は入射光のエネルギーが880 eV付近で、バルク電子状態を調べるのにも適したエネルギーです。この実験は上記のSPring-8
BL25SUで、エネルギー分解能は約100 meVで行いました。この高いエネルギーの入射光で分解能100 meVというのは本当に前例のない、驚異的なものです。一方Ce
4d-4f共鳴光電子分光は光のエネルギーが120 eVと、バルク電子状態に敏感な領域になります。私たちはこの実験も合わせて行いました。この実験はつくばにある高エネルギー加速器研究機構にある放射光施設Photon
FactoryのBL-3Bで行いました。
「重い電子系」CeRu2Si2及び非常に強く混成した(価数揺動系といいます)CeRu2について、共鳴光電子分光で得られた広いエネルギースケールのCe
4f光電子スペクトルをFig. 2に示します。まず左のCeRu2Si2の3d-4f共鳴光電子スペクトルをみるとフェルミ準位近く(0
eV近く)にシャープなピークがあり、-1 eVから-5 eVにかけて幅広い裾を引いた形になっています。前者がCe 4f電子が他の電子と混じった証拠になる「f1終状態」とよばれるもので、後者が4f電子の局在性を反映した「f0終状態」に対応します。これがCeRu2の3d-4f共鳴光電子スペクトル(Fig.
2右側)になると-1〜-5 eVの「f0終状態」が非常に弱くなっています。これはCeRu2のCe 4f電子が非常によく混じっている事を示します。ひるがえって図の下側の4d-4f共鳴光電子スペクトルに注目しますと、その形状が3d-4f共鳴スペクトルと大きく異なる事がわかります。一番顕著なのは、「f0終状態」がピークとして、CeRu2Si2では約-2.5
eVに、CeRu2では約-2 eVに現れています。これはより局在性の強い表面4f電子状態のf0終状態であると考えられます。というのも、表面ではそれよりも上にイオンがない為、4f電子と混じる相手の電子が減り、より局在的になるからです。これまで殆どのCe化合物の4d-4f共鳴スペクトルでf0終状態に起因するピークが観測されていますが、それはバルクではなく表面電子状態を見ていたということです。
次にフェルミ準位近傍のCe 4fスペクトルをFig.
3に示します。このフェルミ準位近傍の電子というのは、その物質の電気的、磁気的性質等(これらをひっくるめて物性と言います)を決めるのに重要な役割を果たします。この図でまずすぐに気が付くことは、
1.4d-4f共鳴光電子スペクトル形状がCeRu2Si2とCeRu2で非常によく似ている
2.しかし3d-4f共鳴光電子スペクトル形状は両者で著しく異なる
という事です。4d-4fスペクトルでは両者共フェルミ準位直下と約-0.3 eVに「こぶ」が見えます。これがCeRu2Si2の3d-4fスペクトルではフェルミ準位直下の強度が著しく強くなり、約-0.3
eVの構造が肩構造として相対的に弱くなっています。さらには、このような2つの構造はより強く混成したCeRu2では見られません。これらの結果と、両者のCe
4f電子状態の性質の大きな違いを考え合わせると、
結論できます。さらに言うと、CeRu2ではCe 4fスペクトルは他の金属のスペクトルと定性的に似ており、Ce
4f電子が「バンド的になっている」と言うことができます。このような結果は今回世界で初めて得られたもので、今後高温超伝導体を含む様々な物質で「高エネルギー入射光を用いた高分解能光電子分光」が、物質内部の電子状態を調べる上で重要な新しい実験手法になると思われます。これまでの低エネルギー入射光の光電子分光の結果を再検討してみる必要がありそうです。