偏光制御硬X線光電子分光による固体内部伝導電子の原子軌道解析手法開発:
「色」だけじゃない金と銀の違いを解明

(和歌山県工業技術センター/理研SPring-8の東谷篤志氏、立命館大理工の今田真教授、ロシア科学アカデミー電気物理学研究所Igor A. Nekrasov博士、理研SPring-8石川哲也先生グループとの共同研究です)
New Journal of Physics vol. 12, 043045 (2010).この論文はここから無料で読めます

  

 私たちは大型放射光施設SPring-8で偏光制御硬X線光電子分光によって物質内部における伝導電子の原子軌道成分を解明する新たな手法の開発に成功し、金と銀の伝導電子の性質が本質的に異なることを発見しました。今回の研究では、SPring-8の理研物理科学ビームラインBL19LXUにおいて、物質に照射する光の偏光方向を制御した硬X線光電子分光で伝導電子を直接観測する方法を開発して、これまで実験的に検証が困難だった固体内部にある伝導電子の原子軌道成分の解析を可能にしました。そして金と銀の測定を行うことで、両者は色が違うだけでなく伝導電子の原子軌道成分が大きく異なることを明らかにしたものです。この違いは金と銀のさびにくさの違いにも関連していると思われます。またここで開発した手法は今後の物質/材料設計にも役立つと期待できます。


はじめに:研究の背景

  金属の性質、例えばどれだけ電気を流しやすいか、磁石としての性質があるかなどの多くの性質は金属内部を動き回る伝導電子の性質によって決まります。一口に伝導電子と言っても固体中をまんべんなく動き回るものから原子核の近くにいることを好むものまで色々あり、それらは元々どんな原子軌道の性質を強く持っているかに大きく左右されます。この原子軌道にはs軌道、p軌道、d軌道、f軌道という種類がありますが、s, p軌道としての性質を持つ伝導電子が金属内部では比較的固体中をまんべんなく動き回りやすいのに対してd, f軌道としての性質を持つ伝導電子は比較的動きにくく、原子核の近くにいることを好む傾向にあり、時として磁石としての性質を担うこともあります(鉄やニッケルといった強磁性金属では3d軌道電子が磁石としての役割を担います)。このように伝導電子がどのような原子軌道としての性質を持つかを知ることは、その物質の機能を解明するには重要ですが、ある程度は周期律表を見れば予想がつくこともあります。しかしそれを直接的に知る実験手法は意外と少なく、3d軌道や4f軌道といった一部の"動き回りにくい"伝導電子の存在を突き止めることは可能でもs, p軌道電子の存在の割合を定量的に実験で確かめることは困難でした。


「直線偏光制御硬X線光電子分光法」の開発と金と銀の伝導電子の違い

 私達は これまで、真空紫外線やX線等の波長の短い光*1を物質に照射した時に生じる光電効果を利用した、固体中電子を直接観測できる光電子分光法(図1)を様々に改良して固体内部の電子状態を高精度で観測する手法を開発してきました。今回、さらに光電子分光実験としては非常に波長の短い0.15 nm (光子エネルギー換算で約8000電子ボルト)の硬X線の直線偏光*2方向を変えながら測定する「直線偏光制御硬X線光電子分光法」を開発し、この実験で固体内部の価電子*3、伝導電子がどんな原子軌道としての性質を持っているかを実験的に検知することに成功しました。この測定は高輝度かつ純度の高い直線偏光X線が必要で、開発と実験は大型放射光施設SPring-8の理研物理科学ビームラインBL19LXUで行いました。その概略図を図2に示します。この測定は、硬X線照射の場合、「光電子観測方向と直線偏光方向が変化した時の光電子強度の変化のしかたが原子軌道によって大きく変わり、s及び一部のp軌道から放出される光電子は偏光に垂直な方向には非常に飛びにくいが、d軌道からの光電子は偏光方向に垂直な方向にも比較的飛びやすい」という理論的予測を利用し、実際に偏光方向を変えて測定して実証したものです。このような測定はこれまで殆どされておらず、今回私たちが初めて本格的な技術開発に成功して可能になりました。
 今回の実験では、これまでの研究から比較的単純で類似の電子構造を持つのではないかと考えられていた金と銀について実験を行いました。図3に示すような実験データが得られ解析した結果、
銀においては伝導電子にd軌道と呼ばれる成分は殆ど混じっておらず、銀の伝導電子は固体中をまんべんなく動き回りやすいs, p軌道で構成されることを確認しました。これは従来からの予想に似た結果です。ところが、金の場合は比較的動きにくく、原子核の近くにいることを好む傾向を持つd軌道成分が伝導電子の約50%も占めることが分かりました(図4)。また、実験結果を理論的に解析することで、金と銀ではd軌道電子同士のクーロン反発の度合い(これを電子相関と言います)が異なり、銀のd軌道の電子相関が相対的に強く無視できない効果を持ち、その為に銀ではd軌道成分が伝導電子に寄与しにくくなっていることが分かりました。この電子相関は、高温超伝導体に代表される強相関物質の電子構造を理解する上では欠かせない要素ですが、単純な電子構造をとる銀においても実は重要な役割を果たしていたのです。
 単一の元素でできた単元素物質の性質は、高校までの化学で学ぶように「周期律表で同じ列に属する元素からなる物質は似た性質を持ちやすい」傾向にあり、例としてアルカリ金属のナトリウムとカリウム、希ガスのヘリウムとネオンとアルゴンといった組み合わせが挙げられます。ところが、貴金属として重宝される金と銀は、周期律表では同じ列にいるものの、見た目の色が異なることは有名です。ただ、それだけではなく
金と銀はそもそも伝導電子の性質が大きく異なる(但し、これは色の違いとは直接関係しません*4)ことが明らかになりました。一方で、銀食器に手入れが必要なように銀は大気中で少しずつ酸化されていくのに対して、金は酸化されにくく安定(だからこそ通貨として流通してきたのでしょう)という微妙な違いも昔から知られています。今回の研究で判明した電子構造の違い、特にd軌道成分の伝導電子への寄与の有無は、金と銀の酸化されにくさ(さびにくさ)の違いと関連しているのではないかと考えられます。


今後の発展

 今回新たに開発された偏光制御硬X線光電子分光による原子軌道解析手法は、金や銀だけでなく、さまざまな固体試料に対して適用でき、価電子・伝導電子の性質を直接解明するのに非常な強力な研究手段になります。今回の研究では、これまで50年近く研究されてきた金と銀でもまだ見つかっていなかった違いが分かったのですが、一方で最近のナノ科学研究で、弱いながらも磁石の働きを持つ金のナノ粒子がすでに開発されています。しかし磁石の働きを持つ銀のナノ粒子は見つかっていません。今回の研究成果「金と銀の伝導電子におけるd軌道成分の有無」から、ナノ粒子による磁石作成が金では可能でも銀では本質的に困難であることが実は予想できます。このように今回開発した日本発の手法は物質設計・材料設計にも役立つと考えられますが、類似の実験手法が海外でも開発中とのことです。今後このような実験は近い将来世界中で展開され、今後の物質・材料科学の発展に大きく寄与していくものと思われます。
 なお、本研究は文部科学省/日本学術振興会科学研究費補助金[若手研究(B)21740229、基盤研究(B)21340101、新学術領域研究「重い電子系の形成と秩序化」20102003]、グローバルCOE「物質の量子機能解明と未来型機能材料創出」、及び日本学術振興会二国間交流事業共同研究の援助を受けて遂行されました。


用語解説

*1光:ここでいう光とは、目に見える可視光(波長約390-770 nm)だけではなくそれよりも波長の短いX線まで含みます。この光の種類を波長の長い方から短い方へ並べていくと、電波(テレビ・ラジオ・携帯電話等で使用)−マイクロ波(電子レンジで使用)−赤外線(センサー等で使用)−可視光−紫外線(殺菌等に使用)−真空紫外線−軟X線−硬X線(レントゲン撮影等に使用)−ガンマ線となります。より詳しく、やさしい解説としてはこちらをご覧下さい。

*2直線偏光:もう少し光の正体について言いますと、光は「電場と磁場が振動しながら進行する横波」ということができます。ここで電場の向きは光の進行方向に垂直な向きですが、進行方向に垂直であればよいので、太陽光や蛍光灯から出る光は右図のように電場の向きは様々な方向を向いており、これを無偏光とも言います。これに対して偏光板を通す等の工夫をして電場が一方向しか向いていない光を直線偏光と言います。シンクロトロン放射光はX線領域で強い光を出すことが知られていますが、これらの殆どは直線偏光であり、この性質もシンクロトロン放射光の特徴の一つです。今回の実験では電場が水平方向を向いた水平直線偏光になっている放射光X線をそのまま使う測定と、単結晶ダイアモンドをはさむことで電場を垂直方向に変え垂直直線偏光を使う測定を行いました。

*3価電子:孤立した原子の「一番外側の軌道をまわる」電子は、固体の中でとなりの原子の原子軌道と混じり合って「どちらの原子核の周りを回っているか」が分からない状態になります。これらの電子の一部が固体中を自由に動ける伝導電子として働きますが、残りの電子で電流を運ぶ役割を果たさないものを価電子といいます。但し、金属の一部では価電子と伝導電子の区別が曖昧になります。

*4金と銀の色の違い:金が「金色」をしているのは、金が可視光の「なないろ」のうち赤から黄色は反射するが緑から紫は吸収しやすい(光子エネルギー換算で2.2eV以上)ためです。これは図3で金のスペクトルが電子エネルギー2.2eV以上のところで非常に強い、つまり緑から紫の光子を吸収できる電子がたくさんいることが原因です。一方銀は、スペクトルの立ち上がりのエネルギーが4.0eVと大きいため、可視光をすべて同じように反射するので、「銀色」に見えます。これらのことは従来の研究で既に分かっていたことですが、伝導電子(エネルギーがゼロに近い電子)の軌道の性質は今回の研究で初めて明らかになりました。

 

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Akira Sekiyama