唯一理解しにくかった単語「たいがい」


 そういう訳で(今となっては?)日常会話が東京と大阪でかけ離れているとは思えない。当然の事だが日本語と英語の違いに比べれば全然大した違いではない。せいぜい仕事上で大阪商人の「考えておきます」=「お断りします」に気をつけておけば良いのではないだろうか?
 それでも私には非常に理解しにくかった単語が1つだけあった。それは「
たい」(「が」にアクセントがくる)の使い方である。例えば

 Aさん「ここの食堂のメシはまずいなあ。」
 Bさん「そうですね。でも私がよく行くあの店もたいがいですよ。」

というような会話である。大阪人はこれで意味が通じているが、もしもAさんが東京人だと「あの店のメシ」が結局のところうまいのかまずいのか、Bさんが褒めているのかけなしているのか、よく分からないであろう。「たいがい」を漢字に直すと「大概」であろうが、東京ではこの単語自身があまり使われない。使うとすれば「大抵の場合」と同義語で使うと思う。まあ英語に直せば「usually」か「about」であって、これが重要なのだが「副詞」的に使われる。これに対して上の会話は間違いなく「形容詞」として用いられている。
 形容詞で使われる「たいがい」を理解しにくいのはある意味当たり前である。というのは、結構ニュアンスが(使う人や場面によっても)変わるからである。私の近くで「たいがい」を多用する人がいたので、あるとき「たいがいってどういう意味なの?」とずばり聞いてみたら、返ってくる答えは「なんというか、良くもなく悪くもなく、って感じですけど、あまり良くない感じですかね。まあ、たいがいといえばたいがいですよ。」と非常に歯切れの悪いものであった。
 ところで「ぼちぼち」という言葉は東京でも知られている。これは強いて言えば「まあまあ」に近いが、「まあまあ」と言えるほど良くない時に使われると思う。但し、私が聞いたニュアンスでは「ぼちぼち」に否定的な意味はあまり込められていない。これに対して「たいがい」という言葉には、どうも否定的なニュアンスが込められているようだ。「悪い」とけなす程ではないが断じて良くはない、というところだろうか。考えてみると、断定的でなくあいまいさを残した、割と便利な言葉だと思う。しかしそれ故に改まって意味を他人に正確に説明するのが難しい、そんな単語だと思う。大阪の人で、今言った意味での「たいがい」が標準語だと思っている人が時々いるみたいだけど。



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